歴史:ブリュネ大尉の「タイクンの刀」が現存 |
残念ながらネットからは本文をリンクすることができなかったので
簡単に内容を抜粋しました。
江戸末期(明治元年)
榎本武揚率いる旧幕府軍とともに箱館戦争(1868ー69年)を戦った
フランス陸軍士官ジュール・ブリュネ(1838ー1911年)のパリ郊外の子孫宅に、
「タイクンの刀」として代々伝えられてきた大中小、3本の日本刀が
現存していることが分かった。
タイクン(大君)とは、当時、外国に対して使った将軍の別号。
幕末史研究者は「15代将軍徳川慶喜が手渡した可能性が高い」と指摘している。
また刀剣研究家が鑑定した結果、3本のうちの最も小さい短刀が、
将軍から贈られた刀として最も有力とされた。
ブリュネは1867年(慶応3年)1月、
幕府の要請を受けたフランスの軍事顧問団として初来日し、
大阪城で慶喜に謁見した。
翌年のぼつ辰戦争で幕府は官軍に敗北し、
顧問団は本国帰還を命じられたが、
ブリュネは降伏を拒否した幕臣の榎本武揚らと函館へ渡り、箱館戦争に加わった。
ブリュネという人は、上記の記述を読めば分かるとおり
日本人と同じく気骨ある武人であり
死を覚悟して、江戸幕府のために戦ったサムライでもあったわけですね。
そして、箱館戦争といえば、もちろん新選組、鬼の副長こと土方歳三も、
新選組の残隊士とともに旧幕府軍側に参戦しており
ブリュネとも親交があったとされています。
また、新選組時代の土方歳三はフランス用兵法を独学で学び、
それまでの隊の古い日本の用兵法式をフランス式に変えたともいわれています。
史実ではありませんが
自分の永遠の愛読書である司馬遼太郎の『燃えよ剣』の中には
箱館戦争の大演習で、フランス式用兵を完全にのみこんだ歳三に
砲兵教官ブリュネーが驚き
「土方さん。フランス皇帝があなたを師団長に欲しがるでしょう」
と真顔で言った・・・という記述もあります。
結局、旧幕府軍は敗北し
ブリュネはフランスへ帰国。
榎本武揚は捕縛された後、明治政府の要職となって活躍しますが
土方歳三は壮絶な死を遂げ、亡骸も残念ながら未だ見つかっていません。
また、日野市の実家に現存している土方歳三の遺品の中には
箱館戦争で使っていたとされる刀は残されていません。
唯一、箱館から戻ってきたのは、今や有名な遺影。
その腰に差されていた刀はいずこにあるのでしょうか。
ブリュネの「タイクンの刀」の記事を読みながら
土方歳三に遠く想いを馳せてしまいました。